オリンピックや世界選手権で自己ベストが出た、というニュースを目にすることがあります。練習なら何百回でも試せるのに、人生で数えるほどしかない大舞台のほうで、いちばん良い記録が出る。IELTSでも同じことが起きていて、自宅の模擬試験では届かなかったスコアが本番で出ることがあります。この記事では、本番で自己ベストが出る仕組みを、練習との条件の違いから整理します。本番で伸びる部分と、逆に落ちる部分を分けたうえで、試験当日にその条件を揃えるために何ができるかまで扱います。
01大舞台の自己ベストは実力の120%なのか
大舞台で出た自己ベストは、実力の120%が出た結果ではありません。その日に出た数字は、それまでに積み上げてきた力が本番の条件によって引き出された結果だと考えるほうが筋が通ります。持っていない力がその日だけ湧いてくるわけではなく、練習では出しきれていなかった分が出た、という見方です。
前提として、大きな大会に出た選手が全員自己ベストを出すわけではありません。予選で崩れる選手もいれば、シーズンベストにまったく届かない選手もいます。ここで考えたいのは、練習で何度でも試せるはずの自己ベストが、一度きりの本番で出ることがあるのはなぜか、という点です。
IELTSでも似たことが起きます。自宅で解いた模擬試験ではリーディングが30問前後だったのに、本番で34問取れた。練習では言葉に詰まっていたのに、試験官の前ではひととおり話しきれた。こうした報告は珍しくありません。反対に、練習どおりに進まず崩れる受験者もいます。同じ本番という場が、人によって逆の方向に働きます。
この記事の立場
本番で出た数字は、それまでに身につけた力が発揮された結果です。練習でその数字が出ていなかったのは、実力が足りなかったからではなく、力を出しきるための条件が練習では揃っていなかったからだと考えます。条件は偶然に揃うのを待つものではなく、こちらで揃えられます。
02練習で自己ベストが出にくいのはなぜか
練習で最大の力が出にくいいちばんの理由は、練習が「次がある」場所だからです。明日も練習があり、来月も試合がある。その前提があると、毎回その日の最大限を出すようには練習しません。故障を避ける、フォームを試す、疲労を管理する、後半のメニューのために体力を残す。どれも合理的な行動ですが、結果として、その日に出せる力が測られることはありません。
もう1つの理由は、練習の目的が測定ではなく改善だからです。新しいフォームを試している最中の記録は、慣れた形で走ったときより落ちます。改善のために条件を動かしている以上、いちばん良い条件が偶然そろう確率は低くなります。
自宅の模擬試験に入り込む逃げ道
IELTSの練習でも同じことが起きます。自宅で解く模擬試験には、本番には存在しない逃げ道が入り込みます。
| 場面 | 自宅の模擬試験 | 本番 |
| 聞き取れなかったとき | 巻き戻す、もう一度再生する | 一度きりで先に進む |
| 時間が足りないとき | 数分超えて最後まで解く | 時間で解答用紙が回収される |
| 集中が切れたとき | 中断して休む、その回をなかったことにする | 最後まで席に座っている |
| 知らない語が出たとき | 調べてから続きを解く | その場で処理して進む |
| 解き終えたあと | 実力より高くも低くも出る | その時点の実力が、本番と同じ条件で測られる |
この差があるので、自宅の模擬試験のスコアは実力より高く出ることも低く出ることもあります。高く出るのは逃げ道を使ったとき、低く出るのは最後まで集中を保てなかったときです。どちらの場合も、その日に出せる力を測ったことにはなりません。
練習でそこまで測れないこと自体は問題ではありません。練習は改善のための時間なので、毎回全力で測る必要はないと考えるほうが自然です。ただし、本番と同じ条件で通す回を1つも作らないまま試験日を迎えると、自分がどこまで出せるのかを知らないまま本番に入ることになります。
03一回きりであることが、なぜ力を引き出すのか
一回きりの試行では、力を配分する必要がありません。10本走るなら1本目に全部は出せませんが、1本しか走らないなら、残しておく理由がなくなります。大会が1年に数回しかない競技ほど、この差は大きくなります。
判断の速さにも同じことが起きます。やり直せる場面では、人はやり直せる前提で選びます。あとで直せると思って書き始めた文と、これで提出すると思って書き始めた文では、方針が決まるまでの速さが違います。
ライティングでは、この違いがはっきり出ます。40分のタスク2で、構成を2回作り直す余裕はありません。本番では作り直せないので、最初に決めた構成のまま書ききります。この、決めたまま進む動きが、時間内に書き終える助けになることがあります。練習では途中で気が変わり、ボディ2の途中で方針を変えて、結局最後まで終わらないことが起きます。
同じ一回きりが、逆に働くこともある
ただし、一回きりであることは両方向に働きます。失敗できないと受け取ると、判断は遅くなり、書いた文を消しては書き直す動きが増えます。同じ状況を、どう受け取るかで結果が変わります。
✗
一回きりだから失敗できない書いた文を消して書き直す。構成を途中で変える。時間だけが減る
○
一回きりだから力を残す理由がない最初に決めた構成のまま書ききる。迷った箇所は決めた基準で処理する
この分かれ目は、性格や度胸の差ではありません。迷ったときにどう決めるかを事前に決めてあるかどうかで、大きく変わります。決め方が用意されていない場面が試験中に残っていると、そこで時間を使ってしまいます。
04緊張が助けになるとき、足を引っ張るとき
本番で伸びるのは、すでに自動化が終わっている部分です。まだ考えながら組み立てている部分は、本番ではむしろ落ちます。緊張による覚醒の高まりは、すべてを一様に底上げするわけではなく、この2つを逆の方向へ動かします。
覚醒の水準とパフォーマンスの関係は、1908年に発表されたヤーキーズとドッドソンの研究以来、古典的には逆U字の関係として説明されてきました。もとは動物を使った実験なので、そのまま人間の試験に当てはめられるものではありませんし、現在の心理学では単純な逆U字として扱うことに慎重な見方もあります。それでも、覚醒が低すぎても高すぎても成績が落ちるという整理は、練習と本番の差を考えるときの手がかりになります。
この整理を借りると、緊張したときに何が起きるかを分けて考えられます。
| その技能の状態 | 本番での動き | IELTSでの例 |
| 何度も繰り返して、考えずに出てくる | 速く、正確になりやすい | 使い慣れた言い回し、設問タイプごとの手順、Part 1 の答え方の型 |
| まだ考えながら組み立てている | 注意の幅が狭くなり、抜け落ちやすい | 前日に覚えた語彙、初めて使う構文、当日思いついた新しい構成 |
本番で崩れる受験者と伸びる受験者の差は、度胸の差ではなく、自動化が終わっている範囲の広さの差だと考えると説明がつきます。直前に新しいものを足すほど、本番で落ちる部分が増えます。試験の1週間前に新しい単語帳を始めた場合、覚えた語は本番で取り出す途中に止まりやすく、そのぶん元から使えていた表現まで出にくくなることがあります。
緊張そのものを消す必要はありません。適度な緊張がどう働くかは、スピーキングを例にした記事で詳しく扱っています。
スピーキング
スピーキング試験の緊張を味方にする方法:適度な緊張がパフォーマンスを高める仕組み
05本番でしか揃わない条件とは何か
本番には、練習では意識して作らないと揃わない条件が重なります。ここでは、試験に持ち込みやすい3つに絞って挙げます。
注意が課題そのものだけに向く
練習中の頭の中には、二重の目標があります。問題を解きながら、同時に自分の解き方を直そうとしている状態です。時間配分を意識し、語彙を使ってみようと考え、いま読んだ箇所の読み方が正しかったかを振り返る。本番では、その場で解き方を作り直すことができないので、注意は目の前の問題だけに向きます。この状態は、練習中には作りにくいものです。
人が見ている場所である
他人がいる場面では慣れた作業のペースが上がる、という説明は心理学で古くから知られていて、1898年に発表された自転車競走の研究がその出発点として挙げられます。試験会場には試験官と他の受験者がいて、周囲が一斉に問題を解いています。この環境は、すでにできる作業の速さを引き上げる方向に働くことがあります。慣れていない作業では逆に乱れやすくなるので、ここでも自動化が終わっている範囲が効いてきます。
直前に疲労が抜けている
競技では、大会の前に練習量を落として調整する方法(テーパリング)が広く行われています。同じ練習量を続けたまま本番を迎えるより、量を落として疲労を抜いたほうが記録が出るという考え方です。受験者の中には、逆の動きをする人が少なくありません。前日に単語を詰め込み、当日の朝まで模擬試験を解く。本番の条件が揃わない理由の1つは、ここにあります。
3つに共通しているのは、どれも試験当日にだけ起きる魔法ではないという点です。注意の向け方も、解く環境も、直前の練習量も、こちらで揃えられます。
06本番で自己ベストを出すために、直前にできること
本番に近い条件は、練習の側に持ち込めます。試験日が決まったら、次の5つを練習の設計に入れておきましょう。
| ステップ | すること | 確かめること |
| 1 本番と同じ条件で測る回を作る | たとえば2週間に1回、本番と同じ時間帯に、通しで最後まで解く | 途中で止めたくなった回数を数える |
| 2 逃げ道を先に閉じる | 音声は一度だけ、時間は超えない、辞書は解き終えるまで開かない | 超過した分数と、巻き戻した回数を記録する |
| 3 自動化の範囲を広げる | 新しい教材を足すより、すでに使える表現と手順を繰り返す | 考えずに出てくるかどうかで判断する |
| 4 直前の量を落とす | 前日と当日の朝は新しい問題を解かず、見慣れたものだけに触れる | 前日に覚えた語を答案で使おうとしていないか |
| 5 決め方を決めておく | 1問に何分かけたら飛ばすか、構成に迷ったらどちらを選ぶかを先に決める | 決めていない場面が本番に残っていないか |
5つのうち、当日にできるのは4と5だけです。残りの3つは練習の設計に関わるので、試験日が決まった時点から手をつけておくとよいでしょう。
2の記録は、頭の中で覚えておこうとすると続きません。リスニングとリーディングは正答数が数字で出るので、解いた回の結果をそのまま残しておくと、通しで解いた回と途中で止めた回の差が見えてきます。
IELTS学習アプリ
LR学習記録ツール
リスニングとリーディングの正答数と達成率を記録し、推移を確認できます
当日の持ち物や会場での流れが決まっていないと、それ自体が試験前の判断を増やします。前日までに一度確認しておきましょう。
IELTS総合対策
IELTS試験当日の流れと持ち物完全ガイド:忘れ物と焦りを防ぐチェックリスト
07よくある質問
本番で実力の120%が出ることはありますか。
測れる意味での120%という考え方は適切ではありません。本番で出た数字は、それまでに積み上げてきた力が発揮された結果です。練習でその数字が出ていなかったのは、力を出しきる条件が練習では揃っていなかったためだと考えられます。
模擬試験より本番のスコアが高く出るのは珍しいことですか。
珍しくありません。自宅の模擬試験には、音声を巻き戻す、時間を超えて解くといった逃げ道が入りやすく、本番と同じ条件で測れていないことが多いためです。ただし本番で崩れる受験者もいるので、誰にでも起きるわけではありません。
緊張はなくしたほうがよいのですか。
なくす必要はありません。覚醒が上がると、繰り返して自動で出てくる動作は速く正確になります。落ちるのは、まだ考えながら組み立てている部分です。
試験の前日に新しい単語を覚えるのは効果がありますか。
本番で使えるところまでは届きにくいでしょう。前日に覚えた語はまだ考えながら取り出す段階にあり、緊張した場面では出てきにくくなることがあります。前日は見慣れたものに触れる時間にするほうが無難です。
模擬試験は毎回、本番と同じ条件で解くべきですか。
毎回である必要はありません。練習は改善のための時間なので、途中で止めて確認する回があってよいでしょう。ただし、本番と同じ条件で通す回が1つもないと、当日どこまで出せるのかの見通しが立てられません。
一回きりだと思うと、かえって固くなってしまいます。
同じ一回きりでも、受け取り方によって結果が逆になります。失敗できないと受け取ると判断が遅くなり、書き直しが増えます。力を残す理由がないと受け取ると、決めた方針のまま進みやすくなります。迷ったときの決め方を事前に用意しておくと、この差は出にくくなります。
大きな大会では、選手はみんな自己ベストを出しているのですか。
そうではありません。予選で崩れる選手も、シーズンベストに届かない選手もいます。この記事で扱っているのは、練習で何度でも試せるはずの自己ベストが、一度きりの本番で出ることがあるのはなぜか、という現象のほうです。
本番で崩れてしまう場合は何を見直せばよいですか。
自動化が終わっている範囲がどこまでかを見直すとよいでしょう。直前に足した新しい教材や表現が多いほど、本番で落ちる部分が増えます。すでに使える表現と手順を繰り返して、考えずに出せる範囲を広げておきましょう。
08まとめ
- 大舞台の自己ベストは実力の120%ではなく、練習では出しきれていなかった力が本番の条件で引き出されたもの
- 練習は次があるので力を残す。自宅の模擬試験には、巻き戻しと時間超過という逃げ道が入り込む
- 一回きりの試行は力を配分しない。ただし失敗できないと受け取ると、逆に判断が遅くなる
- 本番で伸びるのは自動化が終わっている部分。考えながら組み立てている部分は落ちる
- 本番でしか揃いにくい条件は、注意が課題だけに向くこと、人が見ていること、疲労が抜けていること
- 本番と同じ条件で通す回を作り、逃げ道を閉じ、直前は量を落とすと、本番に近い条件を練習の側に持ち込める
次の模擬試験を1回だけ、本番と同じ時間帯に、巻き戻しも時間の超過もなしで通してみましょう。そこで出た数字を、いまの実力を測る1つの目安として使いましょう。その数字と目標スコアの差を見てから、残りの期間に何を繰り返すかを決めていくとよいでしょう。